日記(仮題)

日記を書きます

体系的に学ぶことを諦める

学習について書こうと思う。


知識を習得するうえで、教科書を1ページ目から学習して覚えていく、というのが僕にはできない。 コツコツと日々努力できる人なら「毎日10ページ進めて、一か月で修了する」みたいな学習ができるのかもしれないけれど、熱意や集中がどうやっても数日で途切れてしまう自分には、そういう方法は取れない。塾が嫌いだという話もツイッターで何度もしていて、それに対して夜が遅いのが嫌だからとか色々と理由付けはしているけれど、根本的には塾がコツコツ学習する人向けに作られているから自分には合わない、というのが大きい気がする。


毎日努力できないのは、努力しようという努力が足りないからなのかもしれない。そう思って何とか頑張ろうとしたことも何度もあるけれど、一度も成功しなかった。そこで情けない自分を責める人もいるのかもしれないが、僕はそのあたりがのほほんとしており、自分は努力ができない人間なんだと納得してしまった。言い訳のように聞こえるかもしれないし、実際に言い訳なんだけれども、しかし現に努力ができていないのだから、僕は努力ができない人間なのは間違いないだろう。努力が足りないことと、努力ができないこととは、見ているレイヤーの問題であって別に相反することじゃない気がするのだ。うんうん、それもまた言い訳だね。


ともかく、コツコツと努力する人たちと同じ土俵に立っていては、勝ち目がないばかりか一方的に消耗を強いられてしまう。そう思って、別のやり方を試してみることにした。自分は集中の持続はできないけれど、のめりこんだ一瞬の集中の深さはそこそこなものだと思っている。だから、教科書の例で言うなら、熱意が続くうちに粗くてもよいから一通り読むことにしたのだ。当然最後まで到達する頃には飽きが回っているから、二週目なんてできない。集中が終わってしまうと、反動でその本を目にするのも嫌なほどになってしまうので捨てる。しばらくしてふいに熱意が沸いてきたら、またその分野の別の本を買ってきて通読する。(ブックオフでよく100円の本を買うのも、どうせ数日で読み終えて捨てると分かっているからだ)。これを何度か繰り返していると、新しい本でもどんどんとすらすらと読めるようになってゆくことに気づいた。


知識というのは、普通それ単独では意味を成さないから、他の知識と結び付けていく作業が必要だ。コツコツ勉強する場合、最初から体系化された(ツリー状に配列された)知識群を、その体系ごと頭に入れていくことになる。しかし、僕のやり方ではそのような芸当は不可能だ。だから、過去に得た断片的な知識を、頭の中で無意識のうちに結び付けながら進まねばならない。出来上がるのは、縦糸と横糸が整然と配列された布などではない。様々な部分がぐちゃぐちゃに結びつけられた不織布だ。新たな本を読むたびに、紙を漉くように繊維が堆積し、どんどんと強固なものになってゆく。そういう布である。


そんなぐちゃっとした知識のぐちゃっ、これは無秩序なのだろうか。そうではなく僕は、これも一つの秩序のあり方なのだと思っている。


そもそも人間の脳細胞はツリー状の秩序を持っているわけではない。人間の記憶もそうだ。こういう適当なことを言うと強い人に怒られそうだが。それなのに努力によって脳に体系をインストールしようと試みるのは、些か無理があるように思える。それでも無理がきく人は無理をすれば良いのだが、僕は逆らわない葦のような生き方を目指している人間だから、素直に体系的に学ぶことを諦めようではないか。そう思う。